「あなたのため」が、いつの間にか「私を見て」になるとき
最近、少し考えていたことがあります。
「あなたのため」
という言葉は、本当にいつも相手のためにあるのだろうか。
もちろん、本当に相手を思って出てくる言葉もあります。
心配だから言う。
失敗してほしくないから伝える。
少しでも楽になってほしいから動く。
そういう優しさは、たしかにあると思います。
でも時々、
「あなたのため」と言いながら、
実は主語が自分になっていることもあるんじゃないか。
そんなことを考えていました。
相手を見ているようで、自分を見せている
誰かと深く関わったり、
頼られたりする立場になると、
その人のために何かを言う場面が増えます。
「あなたのためを思って言っている」
「私がいれば、こうならずに済む」
「私が支えているから大丈夫」
でもそこに少しだけ、
私がどれだけ考えているか。
私がどれだけ支えているか。
私がどれだけ必要とされているか。
そういう気持ちが混ざると、
言葉の向きが少し変わる気がします。
相手を見ているようで、
実は自分がどう見えるかを見ている。
珍しい話ではないと思いますが
誰かのために話しているつもりが、
いつの間にか
「ちゃんとしている自分」
「分かっている自分」
「必要とされている自分」
を見せたくなっていることも。
あれ、今ほんまに相手のこと見てる?
私の見え方を気にしてない?
そう立ち止まるがあります。
さらに、本来「支えている」側の人が、
その人を固定してしまうこともある
うまくいかなかった時に、
本人がいない場所でその話が広がっていくこともあります。
「あの人はまだ少し難しくて」
「支えが必要な状態で」
「周りも見てあげた方がいい」
一見、心配しているように見える言葉です。
でもその空気が広がると、
いつの間にかその人は
“支えられる側の人”として見られてしまう。
本当は、その人自身にも考えていることや、
変わろうとしている途中があるはずなのに。
そこを置き去りにしたまま、
周りだけが分かったような顔をしてしまう。
その瞬間、
もう相手のための言葉ではなくなっているのかもしれません。
向き合うって、相手を見ること
この違和感の正体を考えていて、
私は「向き合う」と「見せる」は
似ているようで違うんだと思いました。
向き合うというのは、
目の前の相手を見ること。
今この人は何に困っているのか。
どんな言葉なら受け取れるのか。
本当に必要なのは、助言なのか、見守ることなのか。
そこを考えることだと思います。
一方で、見せるというのは、
相手を通して自分を見せること。
私はこんなに考えています。
私はこんなに支えています。
私はこんなに必要とされています。
誰だって、見られたい気持ちはあります。
でも、その気持ちが目の前の相手より前に出た時、
言葉は少しずつ相手のためではなくなっていく。
だからこそ、
「あなたのため」と言う前に、
一度立ち止まれる自分でいたいと思いました。
「あなたのため」と言う前に
誰かに何かを伝えたくなった時、
一度だけ考えたいです。
これは本当に今、相手に必要な言葉なのか。
それとも、私が言いたいだけなのか。
相手を守るためなのか。
自分の立場を守るためなのか。
相手の成長を見ているのか。
相手を通して、自分の価値を見せようとしていないか。
これは誰かを責めたい話ではなく、
自分自身も忘れずにいたい話です。
その人は、私の価値を証明するためにいるわけではない。
その人の失敗も成功も、私を見せるための材料ではない。
当たり前のことですが、
忘れそうになる瞬間があるからこそ、
何度も思い出したいです。
自分の言葉が、今、誰に向かっているか。
その人にとって、その言葉は本当に必要なものか。
「あなたのため」と言う前に、
本当に相手を見ているか。
これからも、そこだけは忘れずにいたいと思っています🌿
これからも一緒にサブスタ楽しんでいきましょう🌿
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